【独自感想】『幻告』五十嵐 律人

小説

今回は小説『幻告』五十嵐 律人(著)のご紹介!
五十嵐 律人さんといえば、自身も弁護士ということもあり、法廷を題材としたミステリー作品を多く生み出されています。

今回の『幻告』も法廷を題材にした作品になります。しかし、少しテイストが変わり、法廷に加えて「タイムリープ」の要素も含まれています。現実と非現実の2つの世界を股にかけて展開されるストーリーはこれまでの法廷ミステリーとは一味、二味も違います。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『幻告』
著者:五十嵐 律人
出版社:株式会社 講談社
発売日:2025年1月
メモ:法廷 × タイムリープ作品

あらすじ

裁判所書記官の宇久井傑は、犯罪者の息子だという秘密を抱えて過ごしている。ある日、法廷を出た瞬間、父親の刑事裁判ーーーーー第一回公判期日が開かれた五年前に遡っていた。調書を読み返すうちに冤罪の可能性に気がついた傑は、タイムリープを繰り返して事件の真実を追うが。感動のタイムトラベルミステリー。

『幻告』裏表紙より

読書感想

時代が創り出す優秀者

他人からの評価に対して、「それ、違うんだよなー」と思うことがある。私は他人から「温厚で、物分かりのいい人」だと思われている。つまり、いい人という評価だ。だけど主観的に考えて事実は異なる。

実際は「どうしようもないほど、めんどくさがり屋」なだけなのだ。仮に自分の意見を持っていても、それを誰かに伝えることも面倒だし、その意見が他人と違ったものだったとしたら。。。。その先のことは考えたくもない。

小学生の時こんな授業があった。「給食は残してもいいか、悪いか」という議題についてディベートを行うというものだ。その際、個人的な意見は置いといて、クラスを半分に分けてAグループの人たちは給食を残してもいいと考えるグループ。Bグループの人たちは給食は残してはいけないと考えるグループ。

AグループとBグループでお互いに意見を出し合ってディスカッションを行うという授業だ。私にとっては最も忌み嫌う授業だった。自分の意見を発表することも嫌いなのに、ましてや思ってもいないことを自分の意見として発表しなければならない。苦痛の境地であった。

私はこれまでと同様、積極的に発言することなく、ただ時間が過ぎていくことを待っていた。小学生にとってディベートという授業は特殊であったため、私と同じように静観しているクラスメイトが多かった。担任の先生にとって、この状況は願っていない状況だ。

「これは意見を言う練習です。その意見の内容がどんなものであれ構いません。発言をすることが大切なんです。今日まだ1回も発言していない人は必ず発言をするようにしてください」わからない。意見を言う練習というのが理解できなかった。

結局私は先生からの指摘に従うことなく、1回も意見を言うことなく授業は終了した。「みなさん、本日はお疲れ様でした。勇気を出して発言をした人、この経験は必ずあなたたちの糧となります」そして一拍おいた後、「残念ながら1回も発言をできなかった人も少なからずいると思います。普段、自分の意見を積極的に発言しない人は多いと思います。だけど、今日みたいにたくさんの人が発言をした場所においては、発言をしなかった人たちは逆に目立ちます。先生も今日誰が発言をしなかったのかある程度わかっています。そういった人たち、今はいいかもしれません。でもね、将来あなたたちが大人になった時、自分の考えや思いを人前で発言できない人は良い印象を与えることはないでしょう。今日はちょっと厳しい授業になっちゃったかもしれないけど、先生はあなたたちの将来のことを考えているからこのような授業をあえてしました。今日うまくいかなかったなと思った人は、家に帰ってからじっくり考えてみてください」

この出来事は大人になってからも記憶として残っている。ふとしたときにこの出来事について考えたりもする。あの時の自分と今の自分は物事の考え方の根本は変わっていない。つまり、私は今に至っても自分の意見を積極的に発言しない大人だ。だけどそれが原因で損をした経験はない。

それとは別に、自分の思想や意見を積極的に発言しないことが求められる仕事が意外と多い。特に現代は、仮想空間で自らの素性を明かさず身勝手な意見を自由に発信できる。余計な意見が蠢く世界でもう一度あの授業を受けてみたい。

本当の自分像

私たち人間は当たり前に生活を送っている。たいていの人は朝起きて、日中を過ごして夜になったら寝る。当然、お腹が減ったら食べ物を食べる。昨日の生活と今日の生活は差し当たり大きく違ったところはない。多分、明後日も明々後日も同じなんだろう。

しかし、3年前私は交通事故を起こして人を死なせてしまった。あの日を境に私の日常は変わった。交通事故を起こしてしまったあの日だけが特別な日だったのか?あの日も私はこれまでと変わらぬ、当たり前の日常を過ごしていた。事故を起こしてパニックになってしまった私は、何をすることもできず、ただ茫然と立ち尽くしていた。

交通量の多い道路だったこともあり、周りを行きかう人たちが対応をしてくれた。何もできなかった私は警察官に質問をされても答えることができず、パトカーの車内でじっと座っていた。近くの警察署で一晩を過ごすことになった。一睡もすることができないのではと思っていたが、案外眠りについた。

おそらく朝、目が覚めると、見慣れない天井。すぐにここが警察署であること、そして、昨日の出来事が頭に浮かんだ。眠ったからだろうか、それらの記憶は驚くほど整理された状態で私の頭の中を駆け巡っていた。絶望感がどっと押し寄せてきた。一個人の私であれ、様々な関係者とのつながりがあった。そういった人たちに与える影響。今、この瞬間に私がこの世界からいなくなったとしてもその影響は消え去ることはない。

あれから3年がたった。私の生活ははたから見れば一般的な人と変わりはない。しかし、ぬぐいきれない過去があり、その出来事は私が生き続ける以上常に付いて回る存在だ。私はあの事故以来、自分のことが理解できないことが多々ある。なぜ、人を死なせてしまうほどの事故を起こしてしまったのか?なぜ、事故直後、私は、何もすることができなかったのか?自分が知るそれまでの私とは異なる人物が体に宿っているような感覚。

今もなお自分の人格否定は続いている。本当の自分はどっちなのか。考え込んでしまうと、警察署でも眠りにつけたことが噓のように寝付けなくなる。また知らない自分がひっそりと体内に巣くっているような気がする。

タイムリープがいらない私

「あなたの人生を振り返って、もう一度やり直せるならいつに戻りたいですか?」有名司会者は私の目をじっくりと見ながら質問をした。意識してなのか。相手の目を見るイコール、「私はあなたの話をしっかりと聞いています」アピール。野球でいう、「内角に食い込んでくるストレート」のような対応をされると敢えて意に反した反応を示したくなる。なんて意地悪なんだろう私。

「過去に戻ってやり直したいって思ったことがないんです。これまでの経験のすべてが今の私を形作ったと思っているので。いい経験も二度としたくない経験も。全部があっての結果なのかなって」司会者からの質問に対する答えになっていないことに多少の罪悪感は感じたけれど、今言ったことは本音であり事実だ。

私は二人兄弟の長男として生まれた。実家は田舎で父親は地元でサラリーマン、母親は専業主婦だった。地元で出会い結婚をした両親は人生のほとんどの時間をその田舎町で過ごしていた。そんな両親に育てられた私は、特に道に外れることもなく、平坦な道を進みながら成長していった。私にとって大きな変化が訪れたこととしたら、大学への進学だ。高校は地元の学校だったため、実家から通学していたが、大学進学とともに地元を後にすることになった。

地元を離れ、新たな生活に楽しさを感じられたのは、大学生という何も責任を背負わなくていい時期だったからだろうか。大学を順当に卒業した私は、ごく自然な流れで都内にある企業に就職をした。学生から社会人への変化は、想像以上に大きなものだった。田舎から上京をした大学時とは、まったくもって違っていた。時間がたつのはあっという間なのに、精神的なストレスは気が付くと心の中で溢れそうになっていた。

仕事中、同期から「お客さんと話しているときの笑顔素敵ですね」と言われたことがある。同期は私のことをほめたのだろう。しかし私は複雑な気持ちになった。「さぞかし私の笑顔はぎこちなかったんだろうな」普段の私といえば、常に笑顔を振りまくタイプではなく、どちらかというとクールなタイプだ。正直、お客にふりまく笑顔には無理をしていた。同期から言われた言葉は、ついに自分が無理をしていることが他人にばれてしまった瞬間でもあった。

世の中のことを何も知らなかった私は、必死に順応しようと自分の殻を一生懸命破ろうとしていたのだろう。ただ当時の私は自らの頑張りに対して成長とポジティブにとらえることができず、苦しみだけが気持ちの大部分を占めていたのだ。次第に私は、「本当の自分を押し殺して生活することは果たして幸せなのか?」と考えるようになった。マイナスな感情はさらなるマイナスな感情を生み出していった。私は就職した会社を一年もたたずに退職してしまった。

それからの数年間はどん底であった。何をするにしても「押し殺した自分」の姿にがっかりする毎日。素の自分で生きていくことが幸せであると考えていた。しかし、素の自分を受け入れてくれる会社がどこにあるのだろうか。また、素の自分がどれだけの評価を受けられるのかも半信半疑の状態だった。結局、就職しては辞めての繰り返しで数年がたった。就職後しばらくの間は素の自分で仕事ができる。だけど、しばらくたつと偽りの自分が顔を出してくる。

現在は一応事業で成功をしていて、テレビでも有名な司会者からインタビューを受けている。インタビューを受けている私は素の自分だ。真剣な相手に対して、意地悪な対応をとってしまうのは、私に昔から備わっている悪い部分である。このインタビュー中、愛想笑いは一切しなかった。素の自分で仕事ができている今、過去に戻ってやり直すことができればもっと早い段階で今の自分に出会っていたかもしれない。そう考えることもあるのだが、今の自分は行動によってもたらされたものではなく、時間によってもたらされたもののように感じるのだ。

つまり、私の性格がやっと年相応のものになったということだ。10代のころは10代に適した性格。20代のころは20代に適した性格があり、過去の私はその枠に収めることができなかった。30代くらいから自分でも納得がいく仕事に巡り合えたのも、私の性格が30代になってようやく適切にかみ合ってきただけなのだ。だから私は、過去に戻りたいという考えがない。やっと自分の年齢と自分の性格が肩を並べてきたのだから。

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