【独自感想】『いえ』小野寺 史宜

小説

今回は小説『いえ』小野寺 史宜(著)のご紹介!
妹は、自分の友達と付き合っていた。ある時、その友達の運転する車に乗っていた妹は事故に遭ってしまった。足に障害を抱えてしまった妹。

大切な家族が傷つけられてしまった事実に、困惑する。兄弟としての自分と友達としての自分。どちらの立場に立っても辛く悲しい。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『いえ』
著者:小野寺 史宜
出版社:祥伝社
発売日:2025年2月
メモ:著者『ひと』『まち』に続く、下町荒川青春シリーズ

あらすじ

おれ、三上傑には、大学生の妹若緒がいる。兄妹仲は普通、のはずだった。おれの友達であり若緒の恋人大河がデート中に交通事故を起こすまでは。後遺症で若緒は足を引きずるようになった。以来、家族ぐるみの付き合いだった大河を巡り、我が家はぎくしゃくしている。両親の喧嘩は絶えず、若緒は就活に苦戦中。家族に友に、おれはどう接すればいいのか。『ひと』『まち』に続く感動作!

『いえ』裏表紙より

読書感想

正しいことを理解せず生きる人生

食わず嫌いな食べ物を一つや二つ持っている人はいるだろう。「食わず嫌い」とは単純にその食べ物の味が嫌い、もしくは苦手で食べられないということだけでなく、過去の思い出によるトラウマやなんとなく食べてこなかったことなども含まれる。

したがって、大人になってから気がついたら食べられるようになっていたということもざらにある。これは年齢が上がっていくことによって人間の味覚に変化が現れたことが原因であるとも言われているが、もともと食べられたのに食べていなかっただけということもある。

この事実に気づいた時、私たちは人生を損したなと思うのだろうか?ほとんどの場合そんなことは気にしない。しかし、小さなことではあるが、これまでの固定概念に縛られて生きてきたことは事実だ。食べられる、食べられないのたった二択の選択において、固定概念に縛られた結果、間違った選択をし続けてしまっていたのだ。

どうする?間違った年月を取り戻すためにこれまで食べられなかった分をまとめて食べるか?食べ過ぎも嫌いになる一つの要因ではあるが。

多角的なサービス

大人になって気づくこと。それは、どんなこと・モノに対してもお金がかかるということだ。新しい何かを始める時にかかる初期投資は、幾つもの細かな物が合わさって大きな値段になる。初期投資の高さに出鼻を挫かれる人も多いのではないか。

目に映るモノ全てに値段が設定されているということは、それらは誰かの手がかかっているということだ。ビジネスはサービスであり、サービスは対象が存在する。つまり、世のため人のために存在するということだ。

値段はあくまでもサービスに対する対価である。その値段が高いのか安いのかは常に受け取り手に委ねられたモノであり、その感覚も人ぞれぞれである。すべての人に共通するサービスは国全体に影響を及ぼす可能性がある。また、ニッチなサービスであってもその恩恵に助けられている人たちもいる。

様々な分野のサービスがあることによって、偏った世の中になることなく、私たちは生活を送ることができている。私たち人間は人それぞれ違った価値観を持っている。国をも揺るがすサービスに従事することを喜びに感じる人もいれば、マニアが好むサービスを提供することに力を発揮する人もいる。

これまでのかっこよさと、これからのかっこよさ

大学2年生。10時30分頃の電車に乗って大学へ向かう。この時間帯は比較的空いているため、大抵は椅子に座ることができる。周りを見ると、スーツを着たサラリーマン風の男性が多い。

彼らの表情を見るとどれも浮かない顔をしている。営業職なのだろうか?外回りの面倒臭さに嫌気がさしているのか。そういった大人たちを見るとつくづくだらしないと思う。

何のために仕事をしているのか?おそらく、生きることで精一杯なんだろうなと思う。会社に行って仕事をし、夜遅くに帰宅する。そんな毎日を送っていたら、充実した人生は送れないだろう。どうせ、休日は平日の疲れを取るために家に引きこもっているに違いない。

今は大学2年生。自分の未来は明るいと感じている。自分は社交性もあり友達も多い、居酒屋のバイトもそつなくこなし、店長からの評価も高い、はず。どんなことに対しても臨機応変に対応ができる自分はきっと、社会人になっても今視界に映っているような平凡なサラリーマンにはならないだろう。

彼らはきっと学生時代からイケてなかったのだろう。つまらない人生を送っているようで気の毒に思う。自分は違う。電車でふんぞりかえって、口を大きく開けて寝ているサラリーマン。そんな自分の未来は誰が想像できるだろうか?

コメント