【独自感想】『一次元の挿し木』松下 龍之介

小説

今回は小説『一次元の挿し木』松下 龍之介(著)のご紹介!
松下 龍之介さんの作品は初めてとなります。タイトルからはどんな作品か全くわかりませんでした。表紙のデザインを見て気になり、裏表紙のあらすじを見てみると。。。。

二百年前の人骨をDNA鑑定したところ、四年前に失踪した妹と一致。謎は深まるばかりでした。DNA鑑定は、個人を特定する手段として圧倒的な証拠である。私の中の前提が覆される作品なのか。気になり手に取りました。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『一次元の挿し木』
著者:松下 龍之介
出版社:株式会社 宝島社
発売日:2025年2月
メモ:『このミステリーがすごい!』受賞作品

あらすじ

ヒマラヤ山脈で発掘された二百年前の人骨。大学院で遺伝子人類学を学ぶ悠がDNA鑑定にかけると、四年前に失踪した妹のものと一致した。不可解な鑑定結果を担当教授の石見崎に相談しようとした矢先、石見崎は何者かに殺害された。古人骨を発掘した調査員も襲われ、研究室から古人骨も盗まれた。悠は妹の生死と、古人骨のDNAの真相を突き止めるべく動き出すが、予想もつかない大きな企みに巻き込まれていくーーーーーーー。

『一次元の挿し木』裏表紙より

読書感想

こんがり肌

今の夫と出会ったことが私の人生を大きく変えた。私は小さいころから読書が好きで、休みの日も家で過ごすことが多かった。小学生の夏休み、あんなに休みがあったのに、私はほとんど家から出ることもなく大好きな本を読んだり、リビングでテレビを見ていたりしていた。そんな私の生活に両親は特段文句を言うことはなかった。おそらく両親も積極的に外で遊ぶような子供時代を送っていなかったのだろう。夏休み明け、真っ黒に日焼けした同級生と一緒にいると、なんだか私だけ別の世界で暮らしていたのかと、少し恥ずかしかった。

ある日友達から、「〇〇ちゃんは夏休みにどこにも出かけなかったの?」と聞かれたことがある。私はどう答えていいのかわからず、あいまいなリアクションしか取れなかった。大人になり、その日のことを振り替えると、せっかくの夏休みなのに親にどこにも連れて行ってもらえなかったかわいそうな子って思われてたのかなと余計なことを考える。別に私は、家にいたかったからいただけなのに。なんだか両親に申し訳ない気持ちも湧いてくる。友達に聞かれたとき、もっといいリアクションをとればよかったのかな。

年をとっても自分の性格は簡単には変えられない。中学生になっても高校生になっても、社会人になっても結局私の休日は家で過ごすことが多かった。今の夫と出会ったのは社会人3年目の時。いつも明るく、どんな時も私を引っ張ってくれる、そんなところに惹かれた。私に備わっていない性格だから。付き合って間もない時、「趣味とかあるの?」と彼に聞かれた。私は「小説を読むのが好きかな」と答えた。実をいうと、それしか思い浮かばなかった。

「どんな小説が好きなの?」という質問から、私は今まで読んだ小説の中で一番印象に残っている作品について話した。その作品は作中に出てくる大木(樹齢数百年)がとても印象的で、幻想的なストーリーと相まって私の好きな作品の一つであった。

私の説明を一通り聞いた彼は、「その作品の大木って、実際に存在するんじゃなかったっけ?」と言った。そしてスマートフォンで検索をして、「ほら」と私に検索結果の画面を見せてくれた。画面に映る大木は、私が小説を読みながら頭の中で想像していた通り、樹齢数百年を超える立派な大木だった。

すると彼が、「じゃあ、今度の週末見に行ってみようか」と言った。戸惑う私に苦笑いを浮かべながら、「別に海外に行くわけじゃないんだから」と彼は言った。

まさか実現するなんて。私と彼は実際にその大木を見に行くことになった。私にとってはとんでもないくらい大胆な行動だったけれど、提案してきた彼にとっては大事ではなかったらしい。当日の彼の少ない荷物がそれを物語っていた。

実在する大木は、関東圏内に存在する、とある神社の境内にあるとのこと。私たちが暮らしている地域から電車で行ける距離だった。最寄りの駅に到着してそこからは歩いて向かっていたのだが、歩みを進めていくと視界の先に巨大な物体が姿を現した。スマートフォンの地図アプリなんていらなかった。目線の先にあるそれが目的地を示すものであり、それが目的の大木そのものだった。

神社にたどり着き、ここまでずっと見えていた大木のもとへ。いざ大木を目の前にすると驚いた。小説を読んでいた時に私が思い描いていた大木とまるで違ったからだ。そんなことは当たり前なのだが、小説の世界に身をゆだねていた私にとって、自由に思い浮かべる世界は真実でしかなかった。でも、真実として疑わなかった想像の大木と、今、目の前にそびえ立っている大木はまったくの別物だった。私は軽いショックを受けた。想像は常に自由であり、他人に一切侵されない領域と言っていい。そんな際限のない世界だったはずなのに、私が想像していた大木以上のそれが空に向かって貫いている。

現実が想像を上回った経験をした私は、興奮を抑えることができなかった。せっかく来たからと、お参りをしたのだが、お賽銭箱に500円も入れてしまった。縁もゆかりもない神社のお賽銭箱に500円も投入した私を見て、彼はお腹を抱えて笑った。

それから私たちは一緒にいろんなところに行った。家で読書ばかりしていた私からすると、いろんな土地をめぐることはとても新鮮であった。想像の世界よりも自分の目で見た世界に魅了された私は、遅ればせながら、自分の肌に日光をよく当てる生活に切り替わっていった。こんがり焼けた肌は彼との幸せの証となった。

体調不良の思い出

大事なところで体調を崩す。振り返るとあの時もこの時も。なぜだかわからないが、大事だと思えば思うほど、当日に向かって体調も悪くなっていくのだ。普段と変わらない生活を送っているのだから、体調を崩す原因は精神的なものなんだろう。

精神的と聞くと、大海原にたった一人放り投げられた気分になる。右も左も、前も後ろもどこに進めばいいのかわからない状態。つまり、「原因は精神的なものでしょう」と言われることは、何の解決にも至っていないということだ。

精神的というのは、アンケートでいう、「その他」に分類される。とあるアンケート結果で「その他」が全体の50%を超えたものがあった。「その他」は様々な要因の集合体であり、個別ではない。だから「その他」の要素を解体することは困難であり、「その他」からもたらされるところに答えは存在しない。

とはいえ、約1か月後に大事なプレゼンが予定されている。今の段階では体に不調は感じられないが、これが2週間前となるとわからない。見えない敵と戦わなければいけないわけだが、なにも対策を取らずに時間だけが過ぎていくのはいただけない。

今気が付いたが、「体調を崩す」というのもあいまいではないか。「体調を崩す」と言っても様々ある。お腹が痛くなるのもそうだし、熱が出るのもそう。過去には鼻水が止まらなかったこともあった。体調の変化はその時になってみないとわからない。となると対策のしようがないではないか。

プリンターのトレイから用紙を一枚とってきた。そこに今まで発症した体調不良の一覧を書き連ねてみる。自分でいうのもあれだが、こうも多種多様な体調不良があったものだ。一つ書くにつれ、その時の大事な用事を思い出す。

あの時は、小学校の運動会で徒競走の順番を待っているときに急にお腹が痛くなったんだっけ。鼻水が止まらなかったのは、当時付き合っていた彼女と初めて出かけたとき。鼻をかむのはカッコ悪いと思って、常に斜め上を向いていたっけ。夜に高熱が出たときは。。。。体調不良の数だけ思い出があった。

知って理解する、その優先順位

環境の変化に強い人間は少ない。大体の人は、これまで慣れ親しんだ環境から新しい環境へ移り変わる時、多少の不安を感じる。そして、新しい環境に順応していくまでの時間も人それぞれだろう。

私は子供のころから新しい環境に慣れるのに苦労してきた人間だ。小学生の頃、田舎の学校に通っていた私にクラス替えという制度はなかった。なぜなら、全学年1クラスしかなかったからだ。

学年が上がることで変わることとしたら、担任の先生と教室が隣に移るくらいだった。それでも当時の私は、4月、春の季節が好きではなかった。言葉で説明することはできなかったが、悲しみに似た憂鬱感が心の中にあった。

その後、劇的な変化があったのは中学生になったタイミングだ。1クラスしかなかった小学校から、6クラスもある中学校へ。環境の変化に対して新鮮さなんて感じる余裕もなく、ストレスという形で体の表面上に顔を出してきた。

風邪以外の体調不良があることすら知らなかった私は、自分の弱さに落胆した。強くなることを意識すればするほど、押し寄せてくる不安感は増すばかり。授業中、机に座った状態で涙が出てきた時がとても印象に残っている。

時代が進むにつれ、メンタルヘルスに関する情報は多くなってきた。大人になった私は、過去の自分に比べて、自分を知るすべも身に着けてきた。知って理解することが、どんなことにも勝る防御策となることも。

体の変化、心の変化に対してどのような言葉で説明すればいいのかわからなかった時期。戦場で何も持たずに放り出されるくらい、無防備な状態だったと今はわかる。

環境の変化に慣れていない人は、新しい環境に身を置いた際、まずその環境を知ることに注力する。しかし、それをする前に優先することがある。自分を知って理解することだ。

自分という人間はどういった人間なのか。何が苦手で何が得意か。それを踏まえて、「さぁ、この環境にどうかかわっていこうか」となる。

大切なのは自分のことで、外的要因は含めない。自分という人間の型にうまいこと環境をはめ込もうとすると、意外とシンプルな答えにたどり着いたりする。シンプルな解決策はそれだけで私に安心感をもたらす。

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