今回は小説、『問題。』早見 和真(著)のご紹介!
この小説は副題として、「以下の文章を読んで、家族の幸せの形を答えなさい」という問いがあります。文章から察するに、テスト問題のようにも感じます。
本作品は、小学生の中学受験を題材にしたものになっています。そのため、タイトルの副題の文章があったんですね。中学受験に限らず、受験というのはもちろん受ける本人にとって大きなイベントになります。しかし、その家族にとっても大きなイベントには変わりありません。合格に向かって努力するのは本人だけではなく、家族も一緒。だからこそ、さまざまな出来事が起こるのでしょう。
書籍の情報を以下にまとめます▼
INFO
タイトル:『問題。』
著者:早見 和真
出版社:朝日新聞出版
発売日:2025年3月
メモ:中学受験に挑む家族の物語
あらすじ

小学6年生の十和は、家族の幸せの形がわからない。楽しい母、やさしい父、かわいい妹。それなのに、どうして心がこんなに荒むのか。苛立つ十和に対して、母はなかば強引に中学受験を決めてしまう。このわだかまる気持ちをぶつけられるのは、LINEで繋がる「あの人」だけだ―。ここから逃げ出したい。その思いは大阪で一人暮らす祖母へと向かい、十和は大阪の私立中学に進む決意をする。4人が離れて暮らすことに父は反対するが、あることを条件に十和の希望を受け入れるのだった。
朝日新聞出版 最新刊行物サイトより(https://publications.asahi.com/feature/mondai/)
読書感想

言葉の賞味期限
家族とは、自分の気持ちを最も理解してくれている存在であると多くの人は考える。長い時間を共に過ごし、生活を共有してきた関係であるため、多くを語らなくても通じ合える安心感がある。その感覚こそが、他人との関係とは異なる家族特有の絆なのかもしれない。しかし、その安心感があるからこそ、かえって言葉を省いてしまう危うさも存在する。「きっと分かってくれているだろう」という思い込みは、ときに誤解を生み、伝えるべき気持ちを曖昧なままにしてしまう原因となる。
本来、家族という近しい関係だからこそ、言葉による意思表示は重要である。感謝や謝罪、あるいは自分の本当の気持ちを直接伝える機会を逃してしまうと、後になって大きな後悔として残ることがある。家族は互いをよく知っている存在である一方で、すべてを理解しているわけではない。心の奥にある思いは、言葉にして初めて相手に届くものなのである。
しかし、気持ちを伝えることは容易ではない。照れや遠慮、あるいは関係性の変化によって、言葉を口にすることが難しくなることもある。そのため、多くの人は「また今度でいいだろう」と伝える機会を先延ばしにしてしまう。しかし、時間が経てば経つほど、その言葉は重くなり、口に出すことがますます難しくなる。言葉にする勇気を失ったまま時間だけが過ぎていくのである。
大人になり、家族との関係が変化して初めて、言葉の持つ重みを実感する人も多い。「あの時きちんと伝えておけばよかった」と思ったとき、まだ相手がそこにいるならばやり直す機会は残されている。しかし、人生には二度とその機会が訪れない場合もある。だからこそ、家族に対する思いは、思ったときに言葉として伝えておくことが何よりも大切なのである。
誇り高き頂を目指す人たち
何かを成し遂げる人には共通する特徴がある。それは、周囲の視線に過度に左右されないことである。目標に向かって努力する姿は、必ずしも美しいものではない。歯を食いしばり、泥臭く積み重ねる努力は、ときに不格好に映る。多くの人はその姿を他人に見られることに恥ずかしさを感じ、途中で歩みを緩めてしまう。しかし、結果を残す人は、そのような視線をほとんど意識しない。誰かに笑われようと、後ろ指をさされようと、目標に向かう歩みを止めないのである。
近年、「自分軸」という言葉がよく語られる。他人の評価に振り回されず、自分の価値観を中心に生きる姿勢を表す言葉である。しかし、この言葉は抽象的であり、具体的に何を意味するのか捉えにくい面もある。だが、その本質を一言で表すならば、それは「誇り」であると言える。自分が取り組んでいることに誇りを持っている人は、外部の評価によって自分の価値を揺るがされない。なぜなら、その行動の意味を自分自身が最もよく理解しているからである。
そのような人にとって本当に恐れるべきことは、他人から笑われることではない。むしろ、自分が自分を疑い始めることである。自分の歩んでいる道に対して疑念が生まれた瞬間、人は前へ進む力を失ってしまう。だからこそ、何かを成し遂げる人は、自分自身を信じ続ける。たとえ困難な壁が立ちはだかっても、自らの選択と努力を信じることができれば、乗り越える力は生まれるのである。
そして、その道の先にある頂に対して誇りを抱けるならば、現在の苦しい努力さえも意味あるものとなる。誇りを持って歩む者は、他人の視線ではなく、自分の信念によって動く。その姿勢こそが、最終的に何かを成し遂げる人の共通点なのである。
優しさの認定期間
人間の優しさには実に多くの形がある。困っている人に手を差し伸べることは分かりやすい優しさであるが、あえて手を差し伸べないことが相手の成長につながる場合もあり、それもまた優しさの一つである。たとえば、親が子供に対して厳しく接する場面がある。子供の立場からすれば理不尽に感じることもあるだろうが、その厳しさは将来を思っての配慮であり、親なりの優しさである。しかし、その意図はすぐに理解されるとは限らない。多くの場合、その意味は大人になってから初めて実感されるものである。
このように、優しさには見えるものと見えないもの、すぐに伝わるものと後になって伝わるものが存在する。優しさの価値は、行為そのものだけで決まるのではなく、それを受け取る側の心の状態にも大きく左右される。どれほど善意から発せられた行動であっても、受け取る側がその意図を理解しなければ、優しさとして認識されないこともある。
近年では、この「受け取る側の心」に変化が生じているようにも感じられる。他人からの好意や配慮に対して、どこか冷めた態度を取る人が増えている。疑いの目で見たり、余計なお世話だと感じたりすることで、優しさが優しさとして届かない場面が多くなっているのである。すると次第に、人は分かりやすい優しさを示すことに慎重になる。結果として、表に現れる優しさは減り、見えない優しさや伝わらない優しさばかりが残っていく。
優しさとは本来、人と人との関係を温かく結びつける力を持つものである。その力を失わないためには、優しさを与える側だけでなく、受け取る側にもそれを感じ取ろうとする姿勢が必要である。優しさは行為だけでは完結せず、受け止められて初めて意味を持つものなのである。

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