【独自感想】『リペアラー』大沢 在昌

小説

今回は小説『リペアラー』大沢 在昌(著)のご紹介!
本作品は、「行旅死亡人」をテーマにした作品となっています。
過去に行旅死亡人のノンフィクション作品を読んだことがあり興味を持ちました。

過去に読んだ行旅死亡人を取り扱ったノンフィクション作品▼

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『リペアラー』
著者:大沢 在昌
出版社:株式会社KADOKAWA
発売日:2025年2月
メモ:行旅死亡人を題材にした作品

あらすじ

イラストレーターの想一は、高校からの友人でノンフィクション作家のミヤビから、彼女が受けた依頼の手伝いを頼まれる。それは40年前、六本木のビルの屋上で遺体となって見つかった男性を調べることだった。当時の警察は事件性なしと判断し、身元不明の「行旅死亡人」として処理。依頼人の正体も目的も分からぬまま、想一とミヤビは、男性が何者で、なぜひっそりとそこで亡くなったのかを調査し始める。かつてのビルの住人に当たるうち、2人はある奇妙な任物に行き着くがーーーーー。

『リペアラー』帯より

読書感想

過去に戻れるならという論争

「人生をもう一度やり直せるとしたらいつに戻りたいか」という問いは、誰もが一度は口にするテーマであるが、実際にこの問いを掘り下げるには数多くの前提条件を整理しなければならない。まず重要なのは「記憶の保持」である。現在の記憶や精神状態を保持したまま過去に戻るのであれば、知識や経験を活かして、より有利な人生を歩むことができるだろう。いわば「天才少年」「先読みできる大人」として人生を再構築できる。しかし、記憶を持たずに単に時代を巻き戻す場合、選択肢や行動に変化が生まれにくく、結果として似たような人生をたどる可能性が高い。

また、「一時的なタイムスリップ」か「完全なやり直し」かも重要な分岐である。一時的に戻れるのであれば、後悔している瞬間や分岐点にのみ戻る選択が可能であるが、完全にやり直しとなれば、煩雑な受験や試験、思春期の苦悩といったものも再体験する必要がある。それを「やり直す価値があるか」と問われれば、躊躇する人も多いだろう。

このように、「いつに戻りたいか」という問いは、シンプルなようで実に複雑な構造を持っている。記憶、時間軸、再体験の有無など、考慮すべき要素が多岐に渡るため、気軽な雑談であっても安易に語るべきテーマではない。むしろこの問いに向き合うことで、自分が過去のどの部分に未練を持ち、現在の人生に何を求めているのかが見えてくるのではないだろうか。

帰宅時のフォーメーション

学生時代の下校時に、常に友人たちの後ろを歩いていたという経験は、一見すると些細な出来事のようでありながら、実はその人の性格や視点形成に大きな影響を及ぼしている。三人という人数構成において、自然と二人が前を歩き、残る一人が後ろにつくというフォーメーションはよくある光景であるが、その立ち位置が固定化されていたことには意味がある。

後方を歩くことには、話の中心に入らない気楽さがある。自らが積極的に会話を展開しなくとも、前方の会話を聞きながら必要に応じて応答するという姿勢は、傍観者的であると同時に、観察者としての役割を担っていたとも言える。加えて、歩く速度の問題もあった。自らの歩調を無理に合わせることなく、自由なペースで歩ける後方の位置は、心の余裕を生み出していたのだろう。

このような立ち位置からの行動習慣は、次第に「俯瞰する力」へと昇華される。他者の会話を第三者的視点で捉えること、自分は一歩引いた場所から物事を観察し、分析する姿勢を自然と身につけることができる。つまり、当時の後方というポジションは、単なる物理的な位置ではなく、思考や態度の在り方を形作る役割を果たしていたのである。

現代においても、場の中心ではなく、周囲を静かに見渡す力が求められる場面は多い。学生時代のこの経験が、社会の中で多角的な視点を持つことや、対人関係において柔軟に立ち回る力へと繋がっているのだとすれば、あの三角形のフォーメーションにも大きな意味があったと言えるだろう。