今回は小説『誰何』伏尾 美紀(著)のご紹介!
伏尾 美紀さんの書籍は初めて読みました。タイトルの『誰何』は「すいか」と読むようです。書店でこの本を見たときに、これまで見たことがない単語だったので目に止まりました。
「誰何(すいか)」とは、相手が誰だか分からないときに、呼び止めて問いただすことを指します。作品を読んでいると、本当に誰が誰だか分からない。この謎が読み進める好奇心を刺激してきます。
書籍の情報を以下にまとめます▼
INFO
タイトル:『誰何』
著者:伏尾 美紀
出版社:株式会社 光文社
発売日:2026年8月(第1刷発行)
メモ:元刑事と現役刑事が登場する、警察ミステリー
あらすじ

東京都内で松川美和という女性が孤独死した。その報せを親族に伝えた警察官は衝撃を覚える。松川は二年前に死去したというのである。では、この人は誰なのか?北海道警察を辞め、児童相談所で臨時職員として働く新内由紀。勤務中に出会った警視庁の刑事から、松川美和の部屋に警察官時代の新内の名刺が残されていたと聞く。彼女のことなど皆目知らないのに。同じ頃、道警の砂本修二は石狩で起きたひき逃げ事件を捜査していた。そのさなか、予期せぬ事態に直面する。被害者宅でかつての先輩、新内の名刺を見つけたのだ。
異なる場所に残された名刺が意味するものとは。行旅死亡人の過去に秘められた真実とは。刑事たちが追う複雑に交錯した無数の事件。その道行はやがて、一本の糸を紡ぎ出していく。
『誰何』帯より
読書感想

将来の自分への手紙を振り返って
子供の頃に思い描いていた将来と自分が実際経験する将来は異なることが多い。学校の授業で大人になった自分に対して手紙を書くことがあった。何歳になった自分を想定して手紙を書いているかはそれぞれ異なったが、大抵の生徒にとって、将来の自分は親になっていた。
生活範囲が狭い子供にとって、親の存在は最も身近なものだ。人生におけるお手本であり、自分もこのような形で大人になっていくんだなと無意識に思っている。だからこそ、将来の自分も当然親になっているだろうと想像する。
しかし、大人になってみると結婚をして子供を授かるということがこんなにも難しいことなのかと気がつく。両親の姿から通過点だと思っていた結婚も、よく両親は結婚できたなと、感嘆の域に達する。
また、自分が大人になってくると、物事を相対的に判断することができてくる。つまり、両親は何歳で結婚をして、何歳で私という子供を授かったのか。当時の両親と年齢が変わらなくなってくると単なる感嘆では収められなくなってくる。
今と昔とでは時代が違うから。確かにそうである。でも、その言葉が私にとってなんの防御柵になっていないことにも気がついている。真実よりも周りとの塩梅を求めてしまっている。こんな将来はいくら想像力が豊かな子供であっても書けなかったであろう。
想像の世界での会話
私たち人間は言葉や文字によってコミュニケーションをとる。一人暮らしの休日、一日中家の中にいると誰ともコミュニケーションを取らないことがある。そんな時でも頭の中では様々な会話を自分自身にしていたりする。
人間というのは不思議なもので、言葉を発しなくても発している様を頭の中で想像することができる。登場人物にも限りはなく、会ったことがない人とも頭の中で会話をすることができる。
例えば、人と直接会話をする頻度と頭の中で会話をする頻度がちょうど半々な人がいたとする。その場合、記憶の中の会話は果たして実際にあってしたものなのか、想像の中の会話なのか判断ができなくなることはないのだろうか?
よく、リアルな夢を見たときに、現実と夢かが混同してしまうという話を聞いたことがある。これに似たような感じで、会話も現実と想像との逆目がわかりづらくなってしまうことはありそうだ。
その証拠に、私たち人間は他人から言われてもいないようなことを頭の中で想像してしまい悩んでしまうことがある。例えば、先輩からの食事を断った際、悪口を言われてしまう自分を想像してしまう。本当は行きたくないけど、悪口も言われたくない。その葛藤が人間関係の悩みを生み出してしまう。
冷静に考えれば、悪口を言われるのは自分の想像の世界だけであって、実際には言われてないことは明白である。しかし、頭の中の会話によって悩まされる人も一定数存在する。それは昔から相手の立場になって考えることを教育されているからだろうか。また、「空気を読む」という行いは、ほとんどの場合、間違った解釈をしてしまっているのだろう。気づきや気づかいは、人としての器を広げてくれる要素ではあるが、過度に意識してしまうと、自分の首を絞めてしまう事になりかねない。

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