【独自感想】『暗黒館の殺人』綾辻 行人

小説

今回は、小説『暗黒館の殺人』綾辻 行人(著)のご紹介!
本作品は、人気シリーズ「館シリーズ」の第7作目となります。表紙の写真を見てもわかると思いますが、『暗黒館の殺人』は1巻から4巻まである大長編作品。

私がこれまで読んできた作品の中でも、ここまで長編の作品は初めてでした。かなり気合を入れなければと思っていたのですが、気づけば物語の世界に没入。読み切るまで時間がかかったことからか、今でも物語の世界観が頭の中に残り続けています。

INFO
タイトル:『暗黒館の殺人』
著者:綾辻 行人
出版社:株式会社 講談社
発売日:2004年9月
メモ:「館シリーズ」の七作目

あらすじ

蒼白い霧の峠を越えると、湖上の小島に建つ漆黒の館に辿り着く。忌まわしき影に包まれた浦登家の人々が住まう「暗黒館」。当主の息子・玄児に招かれた大学生・中也は、数々の謎めいた出来事に遭遇する。十角塔からの墜落者、座敷牢、美しい異形の双子、そして奇怪な宴・・・・・・。著者畢生の巨編、ここに開幕!(全四巻)

『暗黒館の殺人(一)』裏表紙より

食したまえ、この肉を・・・・・浦登家の面面が唱和する。<ダリアの宴>に参加した中也の身には何が?激しい嵐で外界と途絶された中で、ついに勃発する不可思議な連続殺人。その被害者は?その犯人は?その動機とは?・・・・・・・謎は複雑怪奇に絡み合い、暗黒館の闇とともに、ひたすらに深まりゆく!!<全四巻>

『暗黒館の殺人(二)』裏表紙より

恐ろしき浦登家の秘密がついに語られる。十八年前の<ダリアの日>に起こった不可解な事件ーーーーー初代当主・玄遙の殺害。幼少の玄児が目撃した怪人物は、不可能状況下で忽然と姿を消した!?死に抗う妄念が産んだ館。その深奥で謎はいよいよ縺れ深まり・・・・・・美しき双子姉妹を、信じがたい悲劇が襲う!<全四巻>

『暗黒館の殺人(三)』裏表紙より

血塗られた浦登家の系譜を受け継ぐ者は誰?漆黒の館を包み込むのは断罪の炎か。逆転に次ぐ逆転の果て、とうとう事件の真相は明らかになったかに見えたが・・・・・・。空前の本格&幻想ミステリ巨編二六〇〇枚、ここに堂々の完結!恩田陸、京極夏彦、宝野アリカ、奈須きのこ各氏の「特別寄稿」を収録の最終巻。

『暗黒館の殺人(四)』裏表紙より

読書感想

壁が高くて外の広さを知らない

人間界で生きている私たちにとって、日常生活で行うあらゆることは当たり前なことである。そこから逸脱した生活を送っている人をみたり、人間以外の生物の生活を垣間見た時、それらの姿は異常な姿として捉えられる。

これはあくまでも私たちが人間だからである。当然、人間以外の生物(概念も含まれるかな)からしたら、人間が当たり前だと思っている事柄は全て異常である。私たち人間は当たり前なことに対して特に疑問も持たず、ある種、無意識のうちにそれらを受け入れる特性を持っている。

そんな中、これまでの時代を振り返った時、人間にとっての当たり前に対し疑問を持った人たちがいる。大抵そう行った人たちが時代を変えてきた。人間の特性である、当たり前なことに無頓着なところから逸脱した思考回路を持った人たちは、時に周りから異常者と見られることがある。しかし、当たり前なことに疑問を持つところから、時代の変化は生まれてきたのだ。

誤解してはならないのは、人間にとっての当たり前がマジョリティだと思わないことだ。人間界を俯瞰して見ると、コメ粒くらいの大きさかもしれない。

理由があるから安心する

私たちが経験することや、この世の中で起きた出来事には全て理由がある。なぜそうなったのか?なぜそのような出来事が起きたのか?因果応報という言葉もある。何かにつけて理由や原因を求めてしまうのが私たちなのかもしれない。

私たちは歴史が好きである。過去に起きたことが今につながっている、ということを再確認したいのだろうか。全ての出来事に意味があるという考え方は、神の存在を認めていると言っても良い。つまり、私たちには到底理解できない出来事があったとしても、それは神によってもたらされたものであり、神だけはなぜそのような出来事が起きたのか理解している。神のみぞ知るである。

私が今こうして、このような文章を書いている事にも何らかの意味があるということだ。やる気が起きず、1日中ただぼーっとしている時間にも意味がある。ギャンブルにハマり借金に溺れる事にも意味がある。定職につかず、親の脛ばかり齧り続けている事にも意味がある。俺にはわからないが、神ぞみぞ知る。

様々な理由づけは、私たちに安心感をもたらす。

見えないゴール、観たくないゴール

人間はいつか死ぬのだが、どのように死んでいくかは人それぞれである。また、理想の死に方の価値観も人それぞれだ。ある人は、ポックリ死にたいという。このポックリという言葉の響きが「死」というマイナスな言葉に似つかわしくないのが面白い。「ポックリ死ぬ」意外にポックリという言葉を聞いたことがない。「ポックリ生きる」「松ポックリ」などなど。。。

一方で、余命を告げられて死にたいという人もいる。自分があとどれくらいで死んでしまうのか。知りたくない情報のようで、意外と知りたい情報でもある。残された時間の中で、これまでお世話になった人にお礼がしたい。残された時間の中で、やりたいことをめいいっぱいやりたい。私たちは期限があるから頑張れる、そんな一面もあるのかもしれない。

しかし、私たちは健康な身体で生活をしている今まさに、残された時間の中で生活を送っているのだ。大袈裟ではなく、この世に生まれ落ちた瞬間から残された時間の中で生きている。人生をマラソンに例える人もいるが、終わりの見えないマラソンほど過酷なことはない。42.195キロというなんとも中途半端な距離であっても、踏み出す一歩一歩が確実にその数字を削っていく。遠くの方にゴールが見えたら尚更頑張れる。

健康な身体で生活を送っている私たちはとても幸せな一方で、ゴールの見えないマラソンを走っているようなものだ。「死」という絶望感とも言えるゴールが見えてきた時、私たちのやる気はやっと目覚め始めるのか。

コメント