【独自感想】『償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って』山﨑 裕侍

ノンフィクション

今回は、ノンフィクション作品『償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って』山﨑 裕侍(著)のご紹介!
「綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件」について、メディア等で目にしたことがある人も多いかなと思います。この事件はこれまでの日本において、史上最悪な少年犯罪として有名であり、事件から40年近く経つ現在でも多くのメディアで取り上げられています。

この作品の著者である、山﨑 裕侍さんはテレビ番組のディレクター時代からこの事件の取材をし、少年犯罪はなぜ起こるのか?また、罪を犯した加害者たちのその後について、迫っています。本作品は、その取材の記録をまとめたものであり、事件の残虐性にとどまらず、少年法のあり方、加害者当人のその後、そして、加害者家族の人生に迫ったノンフィクションとなっています。事件の当事者への取材もされているため、リアリティのある内容になっています。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って』
著者:山﨑 裕侍
出版社:株式会社 文藝春秋
発売日:2026年1月
メモ:事件当事者への取材も記録されている

書籍情報

史上最悪の少年犯罪と呼ばれる「綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件」。たった7日間しかなかった昭和64年(1989年)の1月に被害者のX子さんは息絶えた――。

おぞましい犯行に及んだ主犯格A、準主犯格B、自宅が監禁場所だったC、監視役D、暴行に加わったE、F。6人の加害少年はその後、どんな人生を歩んでいるのか。本当に更生を果たしたのか。

元「ニュースステーション」ディレクターで、現在は北海道放送(HBC)の報道部デスクを務める山﨑裕侍氏は、2000年頃から本件の取材を続けてきた。Fが振り返った凶行の中身と悔恨。張り込みの末に行ったCやEへの直撃。さらにDの母親による告白など、本人や家族へのインタビューを重ねていく。著者の葛藤も交えながら描かれるテレビ報道の舞台裏も本書の特徴の一つだ。
とりわけ多くのページが割かれているのが、準主犯格Bの存在。彼は刑務所から出所後、更生するどころか、暴力団関係者らとトラブルになって再犯事件を起こしていた。B本人との手紙のやり取りや面会、Bの母親や義兄への取材を通じて、「事件の裏側」と「加害少年のその後」に迫っていく。そして主犯格Aの親族もまた取材に対し――。

加害少年の中には、結婚して新たな人生を歩んでいる者もいれば、50歳前後で命を落としている者もいた。一体、「償い」とは何なのか。加害者や被害者と同世代の著者が地を這う取材で紡ぎ出した渾身ノンフィクションが誕生!

文藝春秋BOOKSホームページより
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163920658

読書感想

想像できない世界

ジェネレーションギャップという言葉がある。世代によって物事の考え方が異なり、それによって価値観の衝突が起きたりもする。平成後期から現代に生きる人たちにとって、どことも構わず、タバコが吸えたことは想像できないことだろう。時代の変化によって、「当たり前」は真逆にもなっていく。

私たち人間は、相手の立場になって考えることをしばしば求められる。時代のギャップによって到底考えられないことであってもまずは相手の立場になって考えてみる。すると、相手の考えていることも少しは理解ができたりもする。こういった思考は、コミュニケーションを円滑に図る上でとても大切なこだと言われている。

逆に自分勝手な考えを振りかざしてばかりいる人を見ると、なんとも器の浅い人だなと思ってしまう。このように、私たちはいかなる場合においても相手を突っぱねるのではなく、寄り添いの気持ちをもつことに意義を感じている。

しかし、世の中にはどんなに丁寧に寄り添っても全く理解ができないことがある。これまでの私の人生を振り返り、私に原因があるのか?と悩んでしまうほどだ。振り返ってみたところで自分の考えに欠陥なんて見つからない。

どう頑張っても寄り添うことができない価値観はどうやら世間的にも受け入れられないようだ。世間の反応を確認して私に間違いがなかったことに安堵する。

目的が違う施設

少年犯罪において、罪を犯したものは「少年院」もしくは「少年刑務所」に送られるみたいだ。どちらの施設に送られるかは、罪の重さによって異なる。基本的に少年が刑事事件を起こすと家庭裁判所にて審判される。しかし、殺人や強盗など重大な事件を起こした場合は、成人と同じく刑事裁判による審判が下される。

この刑事裁判によって実刑判決を下された少年が収容されるのが少年刑務所となる。少年院と少年刑務所では、目的が異なる。少年院は主に更生をメインにした教育プログラムが用意されている。一方、少年刑務所を一言で言うと、罰を与える場所となる。

更生教育と刑罰とでは、目的が異なるため、施設内での生活ぶりも大きく異なる。素人目線で考えた時、重罪を犯した方が刑務所に入り、軽い犯罪の場合は少年院(更生施設)に入るくらいだろうか。刑務所では与えられた刑罰、つまり刑期を施設内で過ごすことが罰であり、決まった罰を受けることで社会復帰が可能となる。

ここで問題なのが、罰を受けたからといって、価値観の変化は期待できるのかということだ。ただただ、時間だけが過ぎていくことをじっと待ち、決められた刑期を消化したから社会に出てくる。社会問題となっている再犯率はこのような実体の中に埋め込まれている。

再犯をしないためにも、価値観の変化は重要である。刑務所に入ったときと出た時で、考え方に変化がないようでは、再犯の可能性は大いにある。人間の価値観の変化を定量的に捉えることは困難ではあるが、再犯の課題は、司法の仕組みから考えなければいけない。

突然現れる運命

自分で考えてもコントロールできないことに縛られる必要はない。精神的に追い詰められてしまう人ほど、どうにもならないことに対して時間をかけて悩んでしまう。楽天的な人であれば、頑張って考えてもどうにもならないことは、「ま、いっか」とすぐに諦めることができる。

人生を楽しく生きていく処世術として、コントロールできないことに惑わされないということは重要である。しかし、時として思いもよらぬ不幸は一定数の人に訪れてしまうのも現実だ。

加害者家族もその一つであろう。もちろん被害者ならびに、被害者遺族にしても同じことはいえる。加害者家族というのは少し捉え方が変わってくる。なぜだかわからないが、世間からの風当たりも厳しくなる。少年犯罪における加害者家族は、そういった加害者を生み出したのは家族に原因がるのではと考えられてしまうのだろうか?

加害者家族は、世間からのバッシングをもろに受けてしまう。加害者本人は、少年院や少年刑務所に収容されるが、物理的に守られていると考えることもできる。罪を犯した当人ではないのに、本音を気軽に口にすることもままならぬ状況に陥ってしまう。

自分でコントロールできない部分は気にしてもしょうがない。という考えがあったとしても状況によっては悩まざるを得ないこともあるということか。現実に起こることは、必ずなんらかの原因がある。その原因が自分にあるのか。その原因を紐解く作業は想像しようにも困難である。

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